(ま、またか!…)

この広い首都圏で、東京で、なぜこうも私コザックには偶然の出会いが訪れるのか?

「それは、私です」の返信に間を置かず司会仲間からのメールがまた届きます。

「メールありがとう!忙しいのに。。。これも何かのすごいご縁だなと感じます。。○○さんは、昨夜通夜に出席した私の親友にとって家族のような存在で。。 彼女はみんなに愛されて旅立ちました。友達がいっぱいでした。そして家族は彼女と婚約者をあたたかく見守り、もう、婚姻届を用意もしていたそうです。今日ひっそり列席している方(△△さんという人だったと思います)は、12年間共に過ごした人です。結婚する寸前で亡くなりました。生きる気満々だったので、今回の死は彼女にとって無念でならなかったと思います。 明るくみんなで送ってあげたいと言っていました。コザック、どうぞよろしく!!」

 

(う~~~、明るく、送るのか~。最近覚えた葬儀司会の常とう句は殆ど捨てなければいけないなあー)

そんな思いで頭の中が混沌としたまま式場に到着。

遺族・導師・会葬者受け入れの準備をしながら式の流れを反芻し、同時に使えそうなフレーズをあれこれ探してはメモに殴り書き… 

落ち着かない心持ちで時を過ごしました。

やがて、ご遺族が式場に到着しました。

 

コザックにとっての救いはこのご遺族でした。

滅多にお目に掛かれないほど気持ちのいい方々で、しかもホントに明るいんですねー。

これからお葬式とは思えない佇まい。

喪主である弟さん。

先に話しましたように若かりし頃きっとやんちゃだったに違いない風情で、しかしそれだけにざっくばらんで酸いも甘いも噛み分けたタイプ。

もう一人の弟さん(次弟)も同様のスポーツマン。

更にその両家族、故人の甥・姪と思しき元気で明るい子供たち。

そして… お父様は既にご他界されていらっしゃるようでしたがご健在で背筋の通った現職美容師のお母様。

基本皆さん落ち着いていて笑顔なんですよ。

決して不謹慎ではないんですよ。

明るく送る___そう心に決めたブレない意識を如実に皆さんから感じました。

それでそれで… 昨夜同様会葬者の人数が凄い。

いや、集まればいいってもんじゃないと思いますよ、今どきは著名人でもごく身内だけで済ますことも多いですし。

しかしこの日は、所謂「お付き合い」でない、司会仲間からのメールにもあった通り「我が事」と参じた友達がいっぱいだったんです。

普通、友人・知人など一般会葬者は葬儀・告別式の閉式後霊柩車と親族を式場で見送り、火葬場へは同行しないものなんです。

同行した場合は荼毘、収骨をして式場にまた戻り、初七日法要。

その後の供養の席にて食事… 殆ど一日掛かりになります(地方・宗派・各ケースによって異なります)。

葬儀社は、主に供養膳の数を把握し料理屋に発注する都合上、同行いただく方には黒と白のリボン(五方)を配り身に着けてもらいます。

それを、故人と同世代の方々皆さんが我も我もと受け取るんですよね。

(勘違いしてるんじゃないかな?)と最初は思いました。

「いえ、私、火葬場だけでそこから帰ります」になっちゃいますと料理が余り、用意した席が空き、食べられることのないお膳の料金は無駄に遺族の負担となります。

ですから葬儀社は、「まともな」葬儀社は、余計な出費を遺族に強いることのないよう気を遣うんですが、この日の方々はその心配がないようです。

喪主の弟さんがお母さん達を前にして言いました。

「姉貴、スゲーよなー!親父ん時よりよっぽど人たくさん集まってるよー」

 

焼香を待つ人々で溢れかえる式場、開式30分前。

だいたいこの辺りでお寺様、御導師が到着されます。

導師は式場を確認、喪主の挨拶を受け、司会者と打合せ、定刻に開式となります。

ところがその導師が… 来ません!

有り体に言っていいですか!?

ボーズが来ない!!

 

<2017年記事 再録>