これは…

偶然なんでしょうか?

慶弔両方に携わっていればいずれこういう機会が訪れるだろうとは思っていましたが、ただ実際そうなってみるとそこには何か大いなる力による「計らい」があったような、そんな気がしてなりません。

そういう思いはコザックより、むしろ故人のお孫さんやそのご両親はじめご喪家の方により強かったようです。

それ故か通夜、そして翌日の葬儀・告別式とも、とてもアットホームな心の通ったセレモニーになった気がしています。

アットホーム… この場合も使っていい言葉ですよね?

 

葬儀の日、前日に伺った、私も司会者として関わったお孫さんの結婚披露宴のエピソードに触れました。

開式前の前説で、です。

「ご縁」というキーワードでMCするうち、不覚にも涙が溢れて言葉に詰まってしまいました。

通常葬儀を施行する側の人間としては、故人にお目に掛かるのは亡くなった時が初めてです。

生前にお会いすることはあまりありません。

ですがこの時棺の中に寝ていらっしゃる故人は、前回お会いした時はきっと笑顔と拍手でお孫さんを祝福していた筈です。

そしてことによると、「いい冥途の土産が出来ましたよ、おじいさん… 」とか、想像が逞し過ぎますかねぇ?

そう思っていらっしゃったかも知れません。

そう考えると、涙を禁じ得ませんでした。

 

偶然は実はそれだけではありませんでした。

故人は東京の下町で、亡くなったご主人と長らくお暮らしになった女性で、お子さんは娘さんが一人。

この娘さんというのが3年前の新婦のお母様ですが、この方が名古屋のお医者さんの元に嫁がれたんです。

コザックの地元、名古屋です。

言葉にすると益々ややこしくなりますが、3年前の新婦の父は名古屋の開業医。

ですから新婦自身も名古屋の出身、東京の人と結婚して東京暮らし。

ご自身のお母様と真逆に名古屋から東京へ嫁がれて、故人となったおばあちゃんの近くに住み、そのスタートに当たり都内で結婚披露宴を開催、MCコザックが司会の任に当たっていた。

まあー、なんというご縁でしょう。

 

<2017年記事 再録>